『Baling』の場合

TPAMスタッフ:このトークは英語、タイ語、そして日本語で行ないます。タイ語は日本語へ、そして日本語から英語へ翻訳され、最終的な英語はイヤフォンを通して聞く事ができます。なので、3つすべての言語を理解することのできる方以外はデバイスが必要になりますので、まだお手元にない方は受付でデバイスを入手してください。

では、アジアでのコプロダクション(共同製作)に関するディスカッションのシリーズの4つ目のセッション、アーティストの視点からのセッションを始めたいと思います。スピーカーには、ご自身の作品『Dancing with Death』が初演されたピチェ・クランチェンさん、そしてこれも私たちTPAMとの共同製作である『Baling』の マーク・テさん、そしてモデレーターとしてキーホン・ロウさんをお迎えします。ではキーホンさん、よろしくお願いします。

Photo: Hideto Maezawa

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キーホン・ロウみなさん、こんにちは。プロデューサーの視点からコプロダクションについて議論した前回のセッションに、いまここにいるどのくらいの方が参加してくださったのかは定かではありませんが、全員ではないですね。ごく簡単に、前回どのような内容を議論したのかという話に触れておきましょう。今日の議論としては、アーティストの視点に絞ってコプロダクションについて話します。というのも、コプロダクションにおいては、前回のセッションでも話に出た通り、いろいろな意味で文脈がとても複雑です。そして私たちは世界の中の、アジアというこの地域で、アーティストを支えていくためのいろいろなモデルを探ろうとしているわけです。5分もあれば、今日の議論のための文脈をまとめることができるでしょう。

前回のセッションでは、エスプラネードのフェイス・タンさん、TPAM の丸岡ひろみさん、アーツセンター・メルボルンのスティーヴン・アームストロングさん、そしてピチェ・クランチェン・ダンス・カンパニーのプロデューサーであるソジラット・シンホルカさんに話してもらいました。『Dancing with Death』のキー・コプロデューサー、キー・コミッショナーたちです。前回のセッションでは、プロデューサーの視点からプロセスについて話すために、用語を明確にする必要がありました。すぐに明らかになった重要な問題の1つに役割分担の明確化があり、ここでコミッショナーとプロデューサーの違いに立ち戻る必要がありました。プロデューサーはステップ・バイ・ステップの、日々のプロセスにより多く関わることになり、それはもちろん予算管理からセットでのテクニカルな問題解決までに及びます。役割というのは、アーティストが作品を作り上げるための環境を整え、様々な要素を望ましい形で配置する上で、非常に重要なものでした。作品が全く新しいものであればそれはさらに重要になります。

今日の議論で興味深いのは、マークとピチェの事例が全く異なっているということです(ここで私は皆さんが『Dancing with Death』と『Baling』をすでに観たという前提でお話しします)。というのもピチェは全く新しい作品をTPAMで初演しましたが、一方マークは『Baling』に10年前から取り組んでいて、これまでに5回の異なる形での上演がありました。今回の上演が最新版です。私が2011年にこの作品をシンガポールで紹介したときは、まるっきり違う作品だったのです。テキストや内容は同じですが、表現の体系は現在とは全く異なっていました。

リハーサルスタジオの中で、コラボレーターとのアーティスティックな会話を通してアーティストが着想を得ようとしているまさにその時に、プロデューサーも同じくして問題解決に着手しなければなりません。そのときに、誰が何をやるべきかという役割分担が明確にされていなければ、なかなかややこしいことになってきます。前回のセッションで、このプロジェクトを通して学習したことをとても率直でオープンに話してくれたスピーカーたちに感謝しなければならないと思っています。それこそまさに私たちがこういったセッションを通してやるべきことで、スティーヴンも言っていたように、コプロダクションというものを進めていくためには、私たちは自分の壮大な失敗を真摯に受け止め、理解したことを自分のものにしつつ、お互いの成功を祝えるようになるべきだと思うのです。

Photo: Hideto Maezawa

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前回のセッションで取り上げられたもう1つ重要な問題は、タイムラインです。例えばコミッションを行なうということ、そのための十分な予算があるということを、いつアーティストが知るか。お金は非常に重要です。それを知らないふりをするつもりはありません。お金がなければ仕事もないのです。そこは前もってはっきりさせておきましょう。ソジは前回のセッションの最後でピチェのケースについて — 他の多くのアーティストにも共通することだと思いますが — 重要なことを言いました。このようなコプロダクションには理想的には2年必要だと彼女は言ったんです。とりわけアジアでは、その要求をはっきり言うことを遠慮すべきではない。この話で前回のセッションは終わりました。実際、正気とは思えないことですが、この地域でのクリエーションやプロダクションの経済原則からすると、6週間で新しい作品を作り上げなければならないというのが現状ですから。

そういう意味で、私たちはアーティスティックなプロセスは多くの時間を要するのだということを認識しなければいけませんし、私としては、アーティストには失敗するための時間と空間が必要だということ、見事なまでに失敗してみる必要があるのだということを言っておきたいと思います。この分野では、成功しなければならないというプレッシャーは並大抵のものではありません。制作に使用している資金は多くの様々なところから得ていますし、出資者はもちろん初演がその作品の完璧な実現であることを期待しますが、大抵はそういうわけにはいきません。これについてはスティーヴンも同意見だと思います。初演への執念は特に脅迫的な現象になり、それはアーティストだけでなく、コミッションに関わるプレゼンターやキュレーターや会場にも同様にのしかかるプレッシャーになります。この意味でマークの作品の例は興味深く、毎度異なるコミッションを受けながら10年という歳月をかけて進化し続けました。さて、ここから私は少し黙って、マークから彼の『Baling』のプロセスについて簡潔に紹介してもらいます。そして後ほどピチェの、完全に新しく作られた作品およびそのプロセスと比較してみましょう。 

Photo: Hideto Maezawa

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マーク・テはい。皆さん、今日は私たちの話を聞きにお越しいただきありがとうございます。キーホンが、私たちのプロジェクトについて考えるための切り口というか枠組みのようなものを、うまく提供してくれたと思います。ただ、ピチェの『Dancing with Death』は、私は同じ時間に劇場にいたので、残念ながらまだ観ることができていません。なので比較することができず、差し支えなければ、今日は主に自分たちの視点からお話しさせてもらえればと思います。

キーホンが言ったように、『Baling』のプロジェクトは2005年に開始しました。その文脈を説明しておくと役にたつかもしれません。劇中にも登場する共産主義のリーダー、チン・ペン(陳平)は、2003年に自伝を出版しました。これは、1957年の独立以来、単一の政党、あるいは単一の連立政党がずっと統治してきた国民国家にとっては、1948年から1960年にかけてのマラヤ危機と内戦についてのオルタナティヴな歴史観に向かう新しい視点を開く重要な出来事でした。多くの若いアーティスト、映像作家、演劇人、さらに若い歴史家や研究者がこの時代に注意を払い始めました。私はそういう意味では特別なわけではありません。この種の取り組みを行なっている人々がたくさんいるのです。

私たちは、バリン会談の採録を2005年に見つけました。マレーシアでは、この採録は公的に利用可能ではありますが、誰もその存在すら知りません。おかしなことに、その採録は記念館に保存されているんですが、つまりそういった記念館自体がマレーシアの社会では特に評価されることはなく、人々も訪れない場所になってしまっているわけです。

私たちは5つのバージョンを作りました。1つめは2005年から2006年に作りました。それはかなりラフな、60分間のフィジカル・シアター的なパフォーマンスで、大学やフットサルセンター、屋内サッカー場で上演したりしました。つまり、かなりアジトプロップ的なアプローチで、その時期私たちは廊下や食堂、サッカーの競技場といった空間でそのパフォーマンスを行なうことに強いリアリティを見出していました。そのバージョンに出演したパフォーマーたちは、家族が共産党につながっていたとか、共産党に抑圧されたとか、そういった経験を共有していました。パーソナルな経験、中国に強制送還されたおじいさん、共産党から追い回された経験、などなどを共有し、一緒に採録を読んでいきました。

2008年と2011年に別のバージョンをやりました。その1つはキーホンの招聘でシンガポールで上演しました。中にはその採録全部を読み上げるというバージョンもありました。たしか4〜5時間ほどの公演です。キーホンは今回のTPAMでの上演が長く感じたと言うんですが、シンガポールとクアラルンプールではもっとずっと長かったんですよ。その公演では、活動家や市民社会のリーダー、ジャーナリスト、人権弁護士、批評的な映像作家、知識人、政治家、国会議員などを招いて採録を読んでもらったりしました。

Photo: Hideto Maezawa

Photo: Hideto Maezawa

あと、私たちが非常にコラボレーティブに作業しているということをここで言っておきたいと思います。皆さんがご覧になった舞台セットはヴィジュアル・アーティストによるもので、映像作家のイムリ・ナスティオンとファーミ・レザも関わっています。『Baling』とは別に、私たちには、マラヤ危機に着目したプロジェクトのアーカイブがあり、それは展示や映画、オンラインプロジェクトその他によって展開してきたものです。『Baling』はそういったシリーズの1つですが、正直なところ私は今回の最新版で「ああそうか、何度も何度も繰り返して公演してきているから、これはシリーズなのか」と気づくまで、シリーズという認識がありませんでした。

キーホンが言った通り、最新のバージョンはアジアン・アーツ・シアターのキム・ソンヒに委嘱されました。このバージョンを上演することについて、実は私たちは非常に抵抗感をもっていました。私たちの活動あるいは歴史におけるこの章はもう幕を下ろしたのではと思っていたからです。でも、なぜか私たちはこの話を再び始め、根本的な問いを改めて問うことになりました。つまり、「今バリン会談に着目することにどういう意味があるのか?」「バリン会談に見られる『忠誠』『降伏』『国民』『自由』『独立』といった言葉に着目することにどんな意味があるのか?」といった問いです。

また、この公演の依頼を受けたのは、チン・ペンが死んでちょうど1年後のことでした。バリン会談の最後の当事者が他界し、彼の遺灰はマレーシアに戻ってくるということは許されない。これは、歴史と「塵」について考えるのに使えるメタファーだと思いました。塵はいつまでもそこにあって、取り除くことはできない。目には見えない。気にしないこともできる。隅の方に追いやってはみるけれども、でもちゃんとそこにある。彼の遺灰が国境を越えることができないということの意味は、私たちにとっては非常に強烈なものでした。

これが作品でチン・ペンの映像を使った理由です。私たちの歴史において、チン・ペンの人物像が英国によって、独立政府によって、そして近年で言えば彼が死んだときに、どのように構築されてきたのかを私たちは注意深く検証しはじめました。この亡霊もしくは幻影のような像を、できることならば、より人間的なやり方で理解し脱構築しようとしたのです。

こんな感じで、長い間に作られたいろいろな『Baling』や、それについて私たちが考えるときに持とうとしている文脈についてお伝えすることができたでしょうか。

もしかするとこれは後でキーホンが取り上げようと思っていることかもしれませんが、最後に私から言っておきたいのは、このプロジェクトをもう一度やるというのは私たちにとってかなり重いことだったということです。というのは、私は活動家や政治家、ドキュメンタリー映像作家などと仕事していて、彼らの半分以上は演劇に関わりがありません。だから作品をツアーするという考えは…

キーホン・ロウ:機能しないんですね。

マーク・テ:機能しないんです。抽象的すぎます。私たちの活動は特定の文脈に基づいています。なぜ私たちがまたこれをやるのかと考えるにあたって、相当なストレスが伴いました。ただ国際的な観客を得るためにやるのか? なぜ光州の人々がこの公演を見たいと思うのか? もちろんソンヒはどんな時でも私たちとじっくり話してくれましたし、光州の状況や光州事件についてよく説明してくれました。しかし行ったこともなかった場所でしたからね。もちろん気持ちもそぞろになったし、自信も失うし、自分たちが誰に語りかけているのか、なぜその人たちに語っているのかも分からなくなりました。ただこれについてもまた後ほど話します。とりあえずここまでにします。

 

Photo: Hideto Maezawa

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キーホン・ロウ:興味深いと思うのは、TPAMの丸岡さんとアジアン・アーツ・シアターのソンヒが『Baling』の共同委嘱を考えていると最初に聞いたとき、私もまず「なぜ?」と思ったんです。シンガポールでやるなら、マレーシアと歴史を共有していますから分かります。年齢的に実際にその時代を経験しているわけではありませんが、政治的な文脈は私たちの中に根付いているので、逐語的に採録を読むその公演は成立しましたし、その年シンガポールで起こっていたこととも関連づけることができました。当時シンガポールは総選挙の真最中だったんです。現代の政治家は完全に馬鹿ばかりです。『Baling』の時代には、法、人権、その他もろもろの問題を概念的に考察するにあたって、とてつもなく雄弁で賢い人々がいましたが、もはやそういう意味での政治家は存在しません。

私が重要だと思うのは、『Baling』においてはプロセスは有機的なもので、10年という歳月をかけて成熟してきているということです。良い作品というものはとても広範なリサーチを必要とし、それは一直線に展開するとは限りません。アーティストは時に脱線したり戻ってきたりします。しかし実際、『Baling』が通ったひとつひとつの段階において、マークと彼のコレクティヴは主題そのものに新たな視点や切り口を加えようとしてきました。そして現在、この地域において、ある意味贅沢なことです。アーティストが1つの作品に何度も取り組んで、異なる上演を作っていくなんていうことはまずできません。多くの場合、できあがればそれでおしまい。ツアーするか、でなければDVDになって棚にしまわれておしまいです。

私はピチェの『Dancing with Death』のプロセスに通じていなかったので、2日前の朝に彼と話をしました。と言っても、私もこれまでに別の委嘱を彼にしているので、彼の仕事はよく知っています。それを踏まえて、ピチェに質問する前にマークに質問したいのですが、アーティストとして、私たちが作品の諸段階をある意味で用意していって、プロセスにステップを — まあ、作品というものは決して完成しないので、「初演」という概念はすでに無効なんですが — つけていくということは重要だと思いますか? これは、先日のディスカッションでも取り上げられた、コプロダクションがそういったプロセスに役立つシステムなのかどうかということに深く関わってくるところだろうと思うので。後でピチェにも同じ質問をしたいと思っています。

マーク・テ:難しい質問ですね。ファイブ・アーツ・センターは30年以上の歴史があるコレクティヴですが、そこで私が作っている作品がコプロデュースあるいは委嘱されるというのは初めての経験でした。何と呼べばいいのかよくわかりませんが、プロセスを考えるときの指標、組み立て、チェックポイントのようなものはもちろん有用です。区切りをつけたり、チームがもっとリサーチが必要だと思ってくれたりしますから。例えば、チン・ペンが自身の遺灰を撒いてほしいと思っていた墓地に行ってみようということになったりしました。これはそれまでやっていなかったことで、新しい経験になりました。そしてもっと多くのリサーチ、撮影、ドキュメンテーション、再検討を行ないました。それは最終的には作品で使われることはなかったのですが、10年も続けてこの公演をやっている私たちにとっては、新しい疑問や視点、矛盾点を探るために本当に意義のあることでした

この11年という時間について少し言えることがあると思います。最初の公演のときは、私たちも若いアーティストでした。20代前半で、今より怒りが強かった。食堂や駐車場、フットサルセンターで公演して、ある意味観客を怖がらせるようなことを平気でやっていました。今では全員が年を取り、太って(笑)、ただテキストを読むしか… というのは冗談ですが、まあそういう感じです。そういう仕事の仕方をしてきているということです。

あと、文脈について言っておくと、2008年と2013年にマレーシアの政治に大きな変化がありました。15の州のうち、4つか5つの州で野党が勝ったんです。これは重要な変化で、私たちの活動のあり方に意識下で影響したと思います。すでにスペースが開かれたわけで、もう攻撃的である必要がありませんでした。アジプロは機能しないだろうということは明らかでした。実際、アジプロは全く無効です。2008年と2011年には、朗読し言葉を聞くこと、人々を招いて座ってもらって、聞いて読んでもらうことのほうが重要でした。そして当然それは代表=表象ということに関わってきます。特定の人々を招いて読んでもらうということですね。

2016年の今、2008年と2013年の約束はもうありません。マレーシアはいわゆる二大政党システム、あるいは二大連合システムに退行しました。そこで新しい矛盾が出現しています。それについて考えるために、私たちはチン・ペンという究極のタブーに興味を持ったんだと思います。現在私たちは新しいタブーを持っているからです。質問への応答になっているか分かりませんが。

Photo: Hideto Maezawa

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